オオナムヂの日記

30代の新米パパ、職業はシステムエンジニア。好きなこと(旅行/IT/日本史/ゲーム/読書/投資)についていろいろ綴っていきます。

【感想】東野圭吾「手紙」を読んで

f:id:ohnamuzi:20190519174959j:plain

どーも、オオナムヂです。
前回、百夜行の感想記事を書きましたが、パソコンの過去のフォルダをほじくり返していたら、「手紙」を読んだ頃にその時ライブドアブログで書いていた記事の内容が残っていたので転載します。

今と違って文体が硬派ですが、そのまま掲載します(笑)

犯罪者は刑期を終えたら解放されるのか

人々は生まれながらにして自由に生きる権利をもっていて、
その権利を維持するため、社会が定めた暗黙のルールを侵さないように暮らしている。
その暗黙のルールを犯した者は、社会によって自由な権利がはく奪される。

この考え方が、いわゆる社会契約説だと認識しているが(間違ってたらごめんなさい)、人間心理の普遍的な部分の一端をつかんでいると感じてならない。

以前、元少年Aの絶歌が販売され社会的に物議を醸したことがあった。 罪を犯した者は、その後社会に「元犯罪者として」公然と復帰することが道義的に許されるのか、といったことが論点である。 当然被害者家族は反対の声を上げたが、一方で販売部数は25万部を超え、大ヒットしたのも事実である。 むろん、法律上は何の問題もない。服役を終えた時点で法律上の罪を償ったことになるからだ。

絶歌出版時に起こった物議について、先程の社会契約説に照らして考えてみる。 元少年Aは罪を犯したことにより、一時的に権利がはく奪されたが、刑期を終えたので権利を再び与えられた。 よって、一般市民同様の生活を送ることができる。

理屈だけで考えるとこのようになる。

ただし、人間心理として元少年Aと一緒に働きたいと思う人がどれだけいるだろうか。 自分の部屋の隣に元少年Aが住んでいてもよいと思う人がどれだけいるだろうか。 このような社会的な制裁は、元少年Aが自分が元少年Aであることを隠さない限り一生ついて回る問題である。

元少年Aは人並みの社会生活を送るためには、自分が元少年Aであることを隠さなければならない。 自分のアイデンティティの大部分を欠落させなければならないのである。 更にこれは元少年A個人だけの問題ではない。 元少年Aの家族・親族も同様の苦しみを背負って生きていく必要がある。

犯罪者に向けられる社会的制裁とはそういうものだ。服役を終えた時点で刑務所からは出られるが 一度社会が定めた暗黙のルールを侵したものは、二度と元の権利は与えられることはない。

犯罪に対する人間の心理とは

そのような社会的な雰囲気の中で、絶歌が出版された。 被害者家族に近しい人は、とんでもないことだと考え(復権をすこしでも認めたくない) ニュースとして知っている一般ピープルは、その程度の復権は認めてもよいと考え、実際に25万人以上の人が本を買った。

確信を持って言えることは、本を買った人達の数=自分の部屋の隣に元少年Aが住んでいてもよいと思う人の数ではない、ということだ。 自分に直接的に関係なければ、どこで何をしていても構わないと考えるのが大半の人なのだ。 フランスのことわざに、「目から遠けりゃ、心も遠い」というのがあるそうだが、まさにその通りである。

これが良い悪いかは別として、人として普遍的な性質を表しているものだと感じている。

読後感

さて、話を『手紙』に戻すが、主人公は犯罪者(強盗殺人)の弟となる。 兄と弟は手紙でつながっていたが、それが起因となって弟の日常生活にいくつもの障害が発生する。 仕事の問題、恋人との結婚の問題、子供のいじめの問題、近隣トラブルの問題。 最終的に弟は兄との決別を決意し、最後の対峙の場において、両者はお互い言葉にならない瞬間を迎える。

まさかあらすじを4行で書けるとは思わなかったが、読後感として本書で一番印象に残ったのは、 自殺も殺人と同義と扱っていることだ。 殺人はすでに述べたように、自分だけでなく家族が苦しむ&一生ついて回るペナルティであるのに対し、 自殺も、自分は死ねるからよいが、家族が苦しむ&家族に一生ついて回るペナルティとなり、 一定程度の社会的制裁が発生する面では同義だというのだ。

自殺に対する社会的制裁などは考えたこともなかったが、確かに身内に自殺者がいる場合を想像すると 殺人と自殺が同義であることは理解できる面もある。

終わりに

『手紙』は犯罪者に対する人間の普遍的な心理を、犯罪者側の立場から描いた作品である。 絶歌の出版に際して、東野圭吾氏は出版社に猛反発をしたという。 この世から犯罪を減らすには、いろいろな方法があるのだろうが、 個人として出来ることをとしては東野氏は全うしたのであろう。

本作品のテーマをついたセリフを抜粋して、結びの文としたい。

「人には繋がりがある。愛だったり、友情だったりするわけだ。それを無断で断ち切ることなど誰もしてはならない。 だから、殺人は絶対にしてはならないのだ。そういう意味では自殺もまた悪なんだ。 自殺とは自分を殺すことなんだ。たとえ自分がそれでいいと思っても、周りの者もそれを望んでいるとはかぎらない。 君のお兄さんはいわば自殺をしたようなものだよ。社会的な死を選んだわけだ。しかしそれによって残された君がどんなに苦しむかを考えなかった。 衝動的では済まされない。君が今受けている苦難もひっくるめて、君のお兄さんが犯した罪の刑なんだ」

「君が兄さんのことを憎むかどうかは自由だよ。ただ我々のことを憎むのは筋違いだといっているだけだ。 もう少し踏み込んだ言い方をすれば、我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。 自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる。すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」

「厳しい言い方をすれば、君はまだ甘えている。君も、君の奥さんもね。(娘への差別も)その状況ならそうだろうね。考えてもみなさい。 強盗殺人犯だ。そんな人物とお近づきになりたいと誰が思うかね。前にもいったと思うが。逃げずに正直に生きていれば、差別されながらも道は拓けてくる。 君たち夫婦はそう考えたんだろうね。若者らしい考え方だ。しかしそれはやはり甘えだ。 自分たちのすべてをさらけだして、その上で周りから受け入れてもらおうと思っているわけだろう? 仮に、それで無事に人と人との付き合いが生じたとしよう。心理的に負担が大きいのはどちらだと思うかね。君たちのほうか、周りの人間か」